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片手でも;  私は、脳卒中で、片手・片足が不自由で 、人工透析を行っています。ぜひ、情報を共有していきましょう。茨城県 つくば市

  

病気日記

2013年4月15日 初めての手記
 今日は4月15日、初めて手記らしいのを書いた。ここは病院である。茨城県牛久市にある「つくばセントラル病院」、牛久市にあるにもかかわらずだ。事故は、脳溢血と車の運転が重なったもので事故の起こる直前、急に右足と右手が利かなくなった。その後、前の車をカスって路肩に追突したようである。その中には、衝突でぶつかった衝撃で脳を損傷したようである。
 入院したのが1月27日。一般病棟である。そこで2週間ほど薬だけで治療したようである。その後、一般病棟でリハビリ治療に入った。一般病棟では、言語療法では月、水、金、腕の腕と足は、月〜土まであり、日曜は休みである。
リハビリ病棟へ移ったのが3月24日である。

4月14日のこと。
 4月14日、大イベントであった。内藤とうがらしの苗作りである。すでに手塚プロダクションは、別に苗を頼んだとか、で、実際には根本さんの100本のみである。実際には17人もいたので、1000個以上植えた。松井さんを始め・・・・・・。
17人とは別に、上野さん、日下野照子、しつ、手塚さん、それに違う意味で水島さんが来た。水島さんは「そばおがわ」のhpの担当をやりたかったようである。

4月23日(火)
 死を考えて見た。なんの生産性も上がらず、恵子や大輔に迷惑をかけている。亜紗子にも。一体、なんのために生きているのかわからない。
病院の窓から見える景色は、駐車場でだれかが車を入れようとしている。入院するまえは、日常の生活だった。このごく当たり前の生活ができなくなるとは、誰が思うものか。
毎朝、「夢であってくれ」と思いつつ、目が覚める。1月27日に入院してから毎日、思う。

4月23日(火)
 尊厳死ということばがある。自分の意思がすでに働かないときに無理して、生きていることは、無駄である。もし、そうなったら、そ〜としてほしい。

4月28日(日)
 今日で3日目である。大輔が前回顔を出してから。あと3分で夕食である。

5月7日
 明るい声で笑い声が、聞こえる。看護師の気を使わない笑い声が。早く帰りたい。

5月9日
少し、元気がでてきた。「そうでしょう、そうでしょう。暇で、暇では元気になった証拠ですよ。明日か、明後日、お訪ねします。いろいろと相談したいこともあるし。」と、言う藤田さんの明るいインターネットのメッセージを見て。

5月29日
遠地さんが来た。嬉しかった。ことの発端は、大木屋さんにあやまりのメッセージを送ったのだが、それが大木屋さんを中心に、一般におくるメッセージだったのである。それに桜井さんが、心配のメッセージを、おくってきたことに答えたのがことの始まりだった。いずれにしろ、遠地さんと10年振りくらいに会うのは嬉しいものである。

6月18日
朝、6時半ごろから、鼻血がでた。大量である。朝飯の時間には大騒ぎである。前のテーブルから「鼻血がでている。なんとかしろ」との声がかかる。おかげで中止である。

6月18日
駒橋さんの、奥さん、由美さんが6月15日8時30分に交通事故で死んだ。6月18日のFacebookにアップされた。驚いた!!。一体、死ぬってどういうことだろう。自分の死も含めて。

6月19日
きょうも鼻血が出た。

6月26日
1週間くらい前から、手元にIphone4sがある。食事に早めに行ってもたいくつしない。食事は、ナース室からテーブルまで杖を付きながらいっている。一本杖になってから、久しい。もう、一か月くらいかな。

7月7日
昨日の夕方から、今日まで家の設備が、自分に合っているか、チェックのため、家に帰ってきている。今日、初めて転んだ。玄関の段になっているところである。転んだとき、なにが起きたのかわからなかった。気がついたら頭が壁にぶつかり、変な格好で倒れていた。大輔に助けて貰った。明日は、首が痛いかもしれない。
7月8日
今日は首は痛くない。でも、食事のたびに、歩いているが、足が重い。いつになったら軽やかに歩けるのだろうか。8月に夢追いサロンがあるが、行けるのだろうか。50m程度しか歩けない。不安である。